「犬はなぜこんなに可愛いのだろう。」
愛犬と暮らし始めてから、毎日疑問に感じてきました。24時間365日、愛犬に触れるたび、抱きしめて匂いや体温を感じるたびに溢れる、枯渇することのない愛情。
私だけでなく愛情をもって犬と接している方なら、同じように不思議に思うでしょう。
「犬はなぜこれほど『かわいい』のか」と。
全人類が抱くその課題は、科学的に証明することができます。
私たち「愛犬家」がただの「犬バカ」ではないことを証明するためにも、今回は犬の可愛さのなぞについて検証してみましょう。
見た目はこども、心もこども
犬はいくつになっても子犬のように遊びます。対して犬の祖先と言われるオオカミは、幼犬時代を過ぎると遊びの行動を見せません。犬にだけ残る幼い特徴は、その容姿にも現れています。
子犬のような無邪気さは、果たして天然なのか作戦なのか。まずは犬の家畜化の過程から考えてみましょう。
ロシアのギンギツネ実験からわかること
有名なロシアのギンギツネ実験をご存じでしょうか?
生物学者のトルート博士が、家畜化の研究のために、キツネを親和的な性格の群と攻撃的な性格の群に分け、交配を開始しました。
すると、8世代目ぐらいから性質は固定化され、親和的な性格の系統からは親和的なキツネが、攻撃的な系統からは攻撃的なキツネが、ほぼ100%の割合で生まれるようになります。
さらに親和的な系統のキツネには、徐々に身体的な特徴に変化が見られ始めます。尻尾が巻尾になり、耳が垂れ、顔が平たくマズル(鼻)が短くなり、体にブチ模様が出始めたのです。
それだけでなく、親和的なキツネには人の指さし指示(人が指を指した物に視線を向けること)を理解する高度な知能が備わっていました。
また、生理学的な変化も伴いました。親和的なキツネたちは性成熟も早くなり、繁殖方法も季節性繁殖から通年性繁殖へと変化し、次第に「犬」に近づいていったのです。
「家畜化」とは
そもそも、動物を「家畜化」するとどのような変化があるのでしょうか。キツネの実験のように、人間と行動を共にするためには、「親和的な性格」が必要です。
この「親和的な性格」をもたらす遺伝的な変異が、家畜化に必要な様々な変化をもたらしています。
キツネの実験では、攻撃性を抑えるほど人の指さし指示への理解度が上昇するということが示されました。親和的な性質を掛け合わせていくと、見た目が幼若化するだけでなく、学習能力が高まるという変化が起きたのです。
野生動物は縄張りを守り、獲物を狩り、敵と戦って生存競争に勝ち残るため、攻撃性を高めていかなければなりません。
しかし、若くて幼い個体にはまだこの競争原理は働きません。大人の保護のもと、兄弟と遊んだり周囲を探検したり。高い好奇心と他者との交流で忙しい日々を送ります。
キツネの実験では、親和的なキツネは大人になっても、この子犬のような性質を残しました。このように、若くて幼い個体の性質を大人になっても残す現象を「ネオテニー」といいます。
それは単に見た目だけでなく、幼い個体の持つ高い好奇心と共感力で周囲と協調関係を作り上げ、共同体として生き残るという生存戦略なのです。
犬のネオテニー
オオカミと犬は、約13万5千年前に遺伝的に分岐したといわれています。その原始犬の骨格は、十数万年の間変化がありませんでした。
そして現代人(ホモ・サピエンス)が犬を家畜化し始めたのが3万3千年前~1万5千年前といわれています。当時の遺跡からは、犬と人間が一緒に埋葬されている墓も見つかっています。その埋葬方法は、明らかに犬が食用ではなく共同体の一員として飼育されていたことを示しています。
埋葬された犬は、シベリアンハスキーに似た頭蓋骨を持っていたといいます。そこには犬がオオカミとは違う進化の道を進もうとする「ネオテニー」の片鱗が見え始めているのです。
ホモ・サピエンスのネオテニー
私たちホモ・サピエンスも、「ネオテニー」が強く入っていることを示唆されています。現代人の骨格をチンパンジーの子どもの頭蓋骨と比較すると、驚くほど形が似ています。
現代人がチンパンジーから分岐して別の進化をたどったとき、犬とオオカミの間に起こったものと同じ変化が起こったのかもしれません。
現代人は攻撃性を低下させ、他者との共感性を高めることで共同体を作り上げ、やがて豊かな農耕生活へと移行しました。
人と犬との収斂進化(しゅうれんしんか)
現代人と犬とは、別の場所で生まれ、別々の種から派生して「ネオテニー」を取り入れた進化過程をたどりました。このように、全くの別種が別々の土地でそれぞれ環境に対応した結果、同じような形態に進化を遂げることを、「収斂進化(しゅうれんしんか)」といいます。
ホモ・サピエンスと犬を繋いだ「ネオテニー」という進化。現代人と犬は、お互いに協力し合い、運命共同体として生存競争を生き抜いたパートナーなのです。
家畜化されたのはどっち?
「ネオテニー」という変化により生存競争に生き残ってきた現代人と犬。今や「イエイヌ」はどんな野生動物よりも繁殖することに成功し、生存競争の勝者となっています。
では、犬はどうやって人間のパートナーとしての地位を獲得したのでしょう。
人間による選択育種
確かに人間は、犬を自分たちの使役用途によって変化させてきました。オオカミとも戦える強靱な肉体を持ったアイリッシュウルフハウンド。極寒の地でソリを引く持久力と密集した毛皮を持つシベリアンハスキー。反対にただ可愛がることを目的とされたような3㎏に満たない超小型犬たち。
人間はより忠実で友好的な個体を選出して掛け合わせることで、自分たちの目的に合う犬を作り出しました。そこには犬自身の策略や意図は介在せず、ただ犬たちの献身と犠牲により選択育種が行われてきたように思われます。
小さくて丸くてふわふわした侵略者
しかし、そこに犬たちの戦略がなかったとは言い切れません。
犬の「ネオテニー」は人間との共存により強化されてきました。それは人間が犬を選択育種した結果だけではなく、犬自身の狡猾で巧妙な手段によるものだとも考えられます。
鳥の刷り込みを発見したことで有名な動物学者のコンラート・ローレンツは、1943年その研究の中で、人間や動物の赤ちゃんが持つ、保護欲や母性本能を駆り立てる特徴を「ベビースキーマ」と名付けました。
目が大きくて頭が丸く、小さく頼りない生き物を見ると、私たちは非合理的・本能的に揺るぎない愛情を抱き、それを傷つけることに対して生得的な拒絶反応を抱きます。
犬は生存の手段として「ベビースキーマ」を自ら取り入れ、人間を魅了することによって巧妙に今の地位を獲得したとも考えられます。犬たちは見事に人間を操り、温かく清潔な寝床、栄養価の高い食事、そして溢れんばかりの愛情を当然の権利として享受しているのです。
私たちは、この小さくて丸くてふわふわした侵略者に完全に家畜化されてしまったのかもしれません。
まとめ
犬が人間を魅了するのは、人間が魅力的な犬を作り出したからであり、また犬たちが生存競争の中で生き残りをかけて「可愛さアピール」をしてきたからでもあります。
どちらにせよ、両者は協力して一つの共同体を作り、お互いに足りない物を補い合って進化してきた歴史があります。
丸い頭に大きな目、短い脚とぽっこりおなかを持つ、まるでネオテニーの権化のような我が家の愛犬。彼は常に我が家で最も快適な場所でくつろぎ、「健康で幸せでありつづけること」を唯一の使命として、今も家畜化された飼い主の隣で寝息を立てています。